『BELIEVE』 渡辺美里
この曲の発売当初はサッカーに夢中で渡辺美里の存在など知る由も無かった。
高校1年の夏休みに、友人から「ribbon」というアルバムを貸してもらったのが渡辺美里との接点になる。
この曲の出だし「朝一番のホームの 冷えた静けさ」
このシーンを感じたのが高校2年の8月の早朝の静岡駅でのこと。
当時(1988年)サッカーのスーパースターのマラドーナが国立競技場で試合をするとのことで、
じいちゃんから4万円もらって、岡山から東京に出かけた。
19時試合開始で、試合終了後、ホテルの取り方も知らないので、そのまま帰ることにして、大垣夜行という22時ごろ東京駅を出て、翌朝5時前に大垣駅に着く快速列車に乗った。
ところが8月12日ごろは帰省ラッシュの最中で座ることもできず、立ちっぱなし。
静岡で下車して、朝イチの新幹線で帰ることにした。
それで静岡駅のホームで始発電車を待っていたのが、朝一番のホームなのだ。
新幹線が動き出すのは6時以降のため、どうせなら浜松まで行って、
そこから新幹線に乗ろうと普通列車に乗ったが、それが大きな間違いだった。
この日は地元の浜松商の甲子園試合日らしく、新幹線はまた多くの乗客でごったがえし、フラフラになりながら岡山に帰った。
そんな思い出の曲だ。
朝一番のホームの 冷えた静けさが好きさ
袖の長めのシャツに 風が泳ぐのが好きさ
空を抱きしめたいよ この手のひらで
今を確かめたいよ
瞬間の速さに はがれた街のポスター
わけもなく泣きたくなったよ My Heart
ひとつのサヨナラに キミは臆病にならないで
いつものキミになれるまで 自由に生きることさ
夢を夢のままでは 終わらせないでいて
人は違う傷みに 胸しめつけられて
この河の流れを 越えてゆく
よくにた瞳をした恋人は 淋しさかかえてる
凍えそうに響くクラクション 流されたくないよ
恋の行方はいつも わからないから
今を信じていたい 言葉じゃなくて
シグナルが変わったら 街も人も動きだすよ My Love
平凡すぎる毎日と 今をなげくよりも
追いつく自分の弱さを 追いこしてゆきたい
ココロ沈むときにも 一人にならないで
声にしない激しさに 胸しめつけられて
この河の流れを 越えてゆく
ひとつのサヨナラにキミは 臆病にならないで
いつものキミになれるまで 自由に生きることさ
夢を夢のままでは 終わらせないでいて
人は違う傷みに 胸しめつけられて
この河の流れを 越えてゆく
1986年10月22日発売
『白いGradation』 大黒摩季
大学生の時、京都に住んでいた。
実家の岡山では大学生になると車を買うのが当たり前になっていたので、例に漏れず車を買ってもらった。
中古で良かったのだが、祖母が新車を買ってくれた。
黒のミラTR-XXアバンツァート
暇さえあればいろんなところに出かけていた。
(大学生なのでほぼいつも暇なのだが)
1995年ごろ、就職活動でうまくいっていなかったこともあって、無性に車を走らせたくなった。
日本海を見に行こうと夜通し走行し、一般道で日本海を目指した。
早朝、福井県の河野海岸有料道路(現在は無料)を走行しているときに、カーステレオから流れてきたのがこの曲である。
好きだから もう追いかけない
あの頃のような私には戻らない
だから 泣かないで もう 逃げないで
さよならしたこと悔やまないように
今は 優しさを求めすぎた過去が
溶けて行くよ 白い Gradation
夜明けの Drivin' 風の音
駆け抜けて行く 白樺の Winding Road
遠い街から見下ろせば
小さい自分の言い分けが 聞こえてくるよ
会いたくて でも 会えなくて
見守ることより 責めてばかりいたの
いつも 偶然じゃない 真夜中過ぎの Catch Phone
悲しい予感 揺れる Gradation
予告無しにおしかけて
部屋中眺めて安心したジェラシー
あなたが言ってた"愛してる"は
猜疑心から逃れたい 悲しい嘘だった
好きだから もう追いかけない
あの頃のような私には戻らない
だけど さよならも 思い出も全て抱きしめて
そばにいたい にじむ Gradation
ここで 独り 白い Gradation
1994年1月29日発売
『Hello, Again 〜昔からある場所〜』 MY LITTLE LOVER
イントロ部分が特に印象的。
当時大学4年で、そのころ見ていたカウントダウンTVという番組で、この曲のPVが流れるときに冒頭の景色が現れる。
荒野の中の直線道路がどこまでも続くのが印象的。
撮影場所はハワイ島とのこと。
携帯電話で着メロが始まったときにこの曲で何年も使っていたことを思い出す。
1995年当時は就職氷河期といわれた時期で、8月になっても就職先が決まらず、
あきらめて9月から朝9時から夕方5時までケーキ工場でアルバイトを始めた。
カーナビが欲しくてバイトを頑張り、1月に当時30万円くらいしたアルパインの最新カーナビを手に入れた。
1月末にある企業の追加募集があり、応募して面接を受けてなんとか就職できた。
その会社でもうすぐ28年目を迎える。
いつも 君と 待ち続けた 季節は
何も言わず 通り過ぎた
雨はこの街に 降り注ぐ
少しの リグレットと罪を 包み込んで
泣かないことを 誓ったまま 時は過ぎ
痛む心に 気が付かずに 僕は一人になった
「記憶の中で ずっと二人は 生きて行ける」
君の声が 今も胸に響くよ それは愛が彷徨う影
君は少し泣いた? あの時見えなかった
自分の限界が どこまでかを 知るために
僕は生きてる訳じゃない
だけど 新しい扉を開け 海に出れば
波の彼方に ちゃんと”果て”を感じられる
僕は この手伸ばして 空に進み 風を受けて
生きて行こう どこかでまためぐるよ 遠い昔からある場所
夜の間でさえ 季節は変わって行く
雨は やがて あがっていた
「記憶の中で ずっと二人は 生きて行ける」
君の声が 今も胸に響くよ それは愛が彷徨う影
君は少し泣いた? あの時見えなかった
Hello,again a feeling heart
Hello,again my old dear place
1995年8月21日発売
『もっと近くに (as close as possible)』 オフコース
オフコースの「さよなら」は子供のころから耳にして知っていた曲だったが、高校生になって、友人から『IT'S ALL RIGHT SELECTION III 1984-1987』のアルバムを貸してもらって本格的にオフコースが好きになった。
ちなみにカセットテープだった。
1988年から高校生になり、よく友人と一緒にCDレンタルショップに行き、カセットテープにダビングして聴いていた。
親にONKYOのステレオコンポを買ってもらって、多くの曲を耳にすることになった。
『もっと近くに (as close as possible)』 は、3年くらい前にYouTubeで偶然聴いて、「なんだか昔に聴いたことのあるような曲」と思いつつ、調べてみたらアルバム『君住む街へ 1984→1988』にも入っていて、このアルバムは確か持っていたはず。
高校生の頃はあまり何とも感じなかったが、50歳手前になって聴くと歌詞のエロさがよく分かる。
もう一度大学生のころに戻りたいという気分にさせてくれる曲だ。
どれだけ 言葉を尽くしてみても
確かめられない ものがあるだろう
この手で今 触れるもののほかは
明日になれば こぼれてゆくだけ
ぬくもりなんて ただのなぐさめ
終ったその時から さめてゆく
これだけ 近くにいるのに ふたり
君の体に 手が届かない
言葉なんか いらないくらい
ああ もっと そばに来て
二つの体と心が重なる
やがて静かに動きはじめる
この腕の中に君がいる
all, all the way to you
また少し 離れてる
飽きている わけでもないのに
思い出に 頼るような ふたりじゃ
悲しいけれど 先は見えてる
その心を つかめるくらい
ああ もっと そばに来て
二つの体と心が重なる
やがて静かに動き始める
この腕の中に君がいる
all, all the way to you
振り返る 愛は
ふたり 遠ざけてゆくだけ
二つの体と心が重なる
やがて静かに動き始める
この腕の中に君がいる
all, all the way to you
OPEN UP THE DOOR
This is the moment we’ve been waiting for
It’s time for us to go where we’ve never been before
OPEN UP THE DOOR
My love is tryin’ get through
Oh… ALL THE WAY TO YOU
- 価格: 2312 円
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1987年5月25日発売
『いつもそこに君がいた』 LAZY LOU's BOOGIE(レイジー・ルーズ・ブギー)
YAWARA!というアニメが1989年10月16日から1992年9月21日まで月曜日の19時半から放送されていた。
放送開始当時は高校生でその時間は学校から帰って、リビングでうたたねをしながら、猪熊滋悟郎の声が遠くでしていた記憶がある。
高校生当時は、あまり真剣に見ておらずストーリーもよくわからなかったのだが、大学生になってから再放送等であらすじは理解した。
アニメに使われていた曲も、今井美樹、原由子、辛島美登里、永井真理子などそうそうたる面々だった。
そんな中で、レイジー・ルーズ・ブギーというよく知らないバンドの『いつもそこに君がいた』がエンディングで流れてくる。
この歌詞が、当時大学生だった自分の心に訴えるものがあり、それ以来ずっと聴いている。
大学の時、好きな子の後ろに席を取って講義を受けていた甘い時代を思い出させてくれる曲。
私の中では名曲の1つだ。
終わりの鐘が鳴って 君が席を立つ
気がつけばいつでも 君だけを見つめてた
僕の側で君は 違う恋に魅かれて
思わず僕は 足をすくめてしまったね
ページをめくると いつもそこに君がいた
ノートの落書き いつもそこに君がいた
アルバムを眺めては 懐かしく思うんだ
にぎやかなさざめきが 耳にこだまする
ページをめくると いつもそこに君がいた
ノートの落書き いつもそこに君がいた
過ぎゆく時の中で
あの時の仲間は 今何を語ってるだろう
ページをめくると いつもそこに君がいた
ノートの落書き いつもそこに君がいた
ページをめくると いつもそこに君がいた
ノートの落書き いつもそこに君がいた
1992年4月22日発売
『あじさいのうた』 原由子
大学生のときに軽自動車を買ってもらった。
黒のミラターボTR-XX
実家の周りは車が無いと生活できないエリアで友達はみんな免許を取ったら車を買うというのが当たり前の光景だった。
自分は京都の大学に進学し、車は無くても生活できたのだが、上記のように車があって当たり前の地域だったので、
おばあちゃんが買ってくれた。
この車で夜中に琵琶湖を1周したり、なぜか仲間と2台で高野山に行ってみたり、阪神高速湾岸線に行ってみたり、
用もないのにブラブラしていた。
大学の友達が高槻に住んでいた。たしか6月の夜に北陸に行ってみようということになり、高槻に迎えに行って、
亀岡から北に抜けるところで、ラジオからこの曲が流れていた。
ちょうどその時に道路の横の小川を蛍が乱舞していたのでよく覚えている。
ミラターボは社会人1年目の11月まで乗って、母親に譲った。4年で7万キロ走行した。
雨に咲いてた つぶらな花びら
恋の予感に揺れて 虹色に染まるの
あの日の二人は 言葉で言えずに
街角で立ち止まり 雨の音聞いてた
なぜだか 忘れられない 不思議なメロディー
今でも 心によみがえる 思い出
だんだん好きになって
そしてだんだん恋になる
何もかも 忘れられなくなってる
雨に唄えば 涙も銀色
濡れた舗道にうつる あの人の面影
あきらめかけてた あの日の約束
思いがけず あなたが 微笑をくれた
もうすぐ あじさいみたいに オシャレになって
あなたのぬくもりに この身をまかせる
だんだん好きになって そしてだんだん恋になる
振り向けば 足音だけが鳴ってた
oh oh 悲しみに good-bye
そして 愛されて乾杯
いつの日か また会える日を待ってる
割れた地面に雨が残るよ
揺れる思いを 唄にして
だんだん好きになって
そしてだんだん恋になる
何もかも 忘れられなくなってる
oh oh 風まかせ lonesome
いたずらな瞳の handsome
すぐそこに時間を超えて I love you Wow……
1987年8月21日発売
『逢えるかもしれない』 原田知世
1987年4月1日に国鉄からJRへと分割民営化が実施されたときのキャンペーンソング。当時私は中学3年だった。
最初に聴いたのは母親が持っていたカセットテープで、誰の曲なのかも分からず、のちにベスト・アルバム『シングル・コレクション '82〜'88』(1988年9月1日)にて原田知世の曲だと知る。
イントロの部分を聴くたびにモノトーンの昭和の情景が浮かぶ。
自分が小さいころまだ小学校は木造校舎だった。
五右衛門風呂の家もあって、夕方になると薪を燃やす香りが漂う。
ダイハツミゼットがまだ走っていた。
そういうノスタルジックな気分になれる曲で詞が美しい。
青い麦 光る風 銀紙の海
遠い街 近い町 景色が変わる
見知らぬ駅に立ち
私はふと子供の顔で振り向く
逢えるかもしれない 明日は
まだしらない友だち
逢えるかもしれない 明日は
永遠の恋人に 恋人に
瓦屋根 板張りの古い学校
縄跳びをする少女 あれは私ね
レールの響く音
目を閉じ耳すませば
子守歌なの
逢えるかもしれない あの頃
なかよかった友にも
逢えるかもしれない 昔の
青空の故郷に 故郷に
逢えるかもしれない 明日は
未来決める人にも
逢えるかもしれない 明日は
永遠の恋人に 恋人に
1987年5月2日発売